[[駿河武将一覧]]
*&ruby(ウドノナガモチ){鵜殿長持}; [#bc216232]

**レベル:数 [#c6a6a260]
65:7

**職業 [#p0b6b373]
神主

**防衛陣 [#jfec0102]
本陣四天王

**戦闘開始時セリフ [#kbf564c0]
#ref(鵜殿長持セリフ.JPG)

 我が妻は殿の御妹君。
 わしは名門今川家の一族に
 列する身じゃ。下がれ!

**構成 [#kf6c56ad]
|>|>|CENTER:|||c
|~名前|~職業|~レベル|~初期付与|~使用技|
|鵜殿長持|刀神主|65|&color(gray){▲};&br;反射結界|[[雅な唄]]、[[優美な唄]]、[[明神閃]]、[[神雷]]、嵐撃、[[武運長久]]、[[蘇生・壱]]|
|今川武者|薙刀侍|60||[[蘇生・壱]]、守護術|
|駿河の上忍|忍者|60||[[蘇生・壱]]|
|鵜殿氏長|薬師|60|再生|[[蘇生・壱]]|
|駿河侠骨者|刀傾奇|60|||
|駿府繋忙鍛冶|鉄砲鍛冶|60|||
|駿府蹴鞠隊|錫杖陰陽|60|結界||

**特徴 [#pda82abe]
対応する後陣主将を倒すと5体に弱体

**ドロップアイテム [#t4cad4c3]
-[[鵜殿の神聖着]]
-[[叡知の剣]]

**列伝 [#n37b3020]
:鵜殿長持|
三郎、藤太郎。鵜殿長将の子。生年は不明。~
鵜殿氏は藤原実方の末裔とされるが、確証はない。[[紀伊]]新宮別当の子が西ノ郡に移ったのをはじめとするが、熊野七人衆の一人の子孫であるともされ、よくわかっていない。~
しかし熊野と西ノ郡付近のつながりは吾妻鏡にもみられるとされ、つながりがあったのは間違いない。~
神社などが多くある神ノ郷に建設した上ノ郷城を居城としていた一族である。~
なお、いつごろから[[今川氏>今川家]]の家臣となったかは不明である。~
~
[[三河]]上ノ郷城主となり、先祖以来の同地を治めていたようであるが、経歴などはよくわかっていない。~
わかっているのは妻が[[今川義元]]の妹であることくらいである。~
1560年の[[桶狭間]]では子である[[鵜殿長照]]とともに[[尾張]]の大高城を落とした後、1562年の[[徳川>徳川家]]との上ノ郷城攻防戦で、徳川が繰り出した忍者勢によって落城。その際に殺されたとされるが定かではない(上ノ郷城攻防戦については長照の列伝を参照されたい)。~
一説には1557年に死亡ともいわれており、よくわかっていない人物である。~
~
:鵜殿氏長|

**その他情報 [#m43c83fd]
- 1の一刀流 --  &new{2010-08-06 (金) 19:19:33};
- 1の固有技:優美の歌使用 -- [[臺灣天下布武僧侶]] &new{2010-12-23 (木) 05:04:35};

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