[[相模武将一覧]]
*&ruby(イシマキ ヤスマサ){石巻康敬}; [#e3169d1a]

**レベル:数 [#ua3842c1]
50:7

**職業 [#b3212c34]
侍

**合戦配置 [#x3f74484]
先鋒

**戦闘開始セリフ [#s91c18c2]
なし

**構成 [#n9d84d74]
|>|>|CENTER:|||c
|~名前|~職業|~レベル|~初期付与|~使用技|
|石巻康敬|斧侍|50||[[武運長久]]、[[三>三連撃・改]]〜[[五連撃・改]]、[[切り返し]]、[[全体看破・弐]]、[[大音声]]、[[蘇生・壱]]、一刀流、守護術|
|風魔下忍|懐剣忍者|45||[[神魔滅殺]]、[[五連撃]]、[[暗殺乱舞]]、[[瞬殺閃]]、[[崩旋脚]]、各種遁術・改、[[幻霧]]、[[全体看破]]|
|浅草寺僧|懐剣僧|45||[[諸法無我]]、[[僧兵連撃・改]]、[[閻魔撃・弐]]、[[双界法句]]、[[紅蓮法輪]]、[[凍気法輪]]、[[大日如来秘法]]、[[紅蓮・参]]、[[回復・参]]、[[全体回復・弐]]、[[英明・参]]、[[高速化・参]]、[[後光]]、[[霧散]]、[[小細工無用]]、[[全体解呪・弐]]|
|伊豆衆新兵|懐剣陰陽|45||[[黒道凶禍]]、[[轟雷]]等各種陰陽道全体術、[[雷鳴・四]]、[[低速呪霧・四]]、[[暗黒呪霧・四]]、[[呪縛・参]]、[[霧散]]、[[金縛り]]|
|鶴ヶ岡弓兵|弓神主|45||[[神の光矢]]、[[連射]]、[[神雷]]、[[神風]]、[[詠唱の韻・極]]、[[攻撃付与・参]]、各種韻・参、[[全体解呪・弐]]、[[神の加護・参]]、[[死の唄・参]]、[[子守歌]]|
|武蔵鍛冶|刀鍛冶|45||[[迅速破砕撃]]、[[鎧の極み・改]]、[[怒号]]、[[仕掛け鎧・参]]、守護術|
|武蔵野薬売り|薙刀薬師|45||[[天狗法力]]、[[蛇紋孔]]、[[破界の光・極]]、[[治療・四]]、[[全体治療・四]]、[[全体完全治療]]、[[救護・参]]、[[全体救護・弐]]、[[防御呪霧・四]]、[[全体解呪・弐]]|

**備考 [#aacb7ae8]
-撃破すると対応する中備副将を弱体
-争覇変更済み

**特徴 [#tb17a447]

**ドロップアイテム [#u58ea816]
-[[薪割刀]]
-[[上人之書・弐>僧上位目録]]
-[[格式帳]]
-[[巨大十字手裏剣]]
-[[粒輝晶]]

**旧ドロップアイテム [#u4d7747f]
-[[石割]]

**列伝 [#b0af6b7e]
石巻家貞の子。彦六郎、左馬允、のちに下野守を名乗る。五太夫とも。号は幻庵。生年は1534年とされる。~
~
石巻姓をもつ人物は[[北条家]]には数多くおり、彼もその一人である、。石巻氏は[[三河]]国八名郡石巻郷を発祥とする一族である。伊勢宗瑞(北条早雲)が[[今川家]]に仕えていたころ、今川勢の先陣として三河に出陣した際に仕えたと考えられている。[[御馬廻衆]]に列せられ[[相模]]西郡飯田や伊豆爍山などに役301貫を知行していたが賦課されていなかったようである。そのためか、各人が個別に知行を持っている。~
~
1579年ごろに兄康保が没すると家督を継ぐ。御馬廻衆に列せられ伊豆奈古屋に80貫を知行していた。~
評定衆や奏者・普請奉行をつとめた官僚であり、これは父、兄から引き続きである。~
[[小田原の役>小田原の陣]]では、その発端である名胡桃事件([[猪俣邦憲]]が名胡桃城を落城させた事件)の弁明のために1589年に[[秀吉>豊臣秀吉]]の下に赴くが、その帰路で駿河国沼津三枚橋城に監禁されてしまう。~
その後1590年に北条氏は滅亡、相模国鎌倉郡中田に蟄居するが、後[[家康>徳川家康]]に仕えて同地に知行を与えられ、旗本格として待遇を受けその子孫は幕末まで続くことになる。~
なお、彼の知行地にある中田寺は康敬が開祖とされている。墓も同地にある。~

**その他情報 [#y8169bf6]

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