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- 毛利秀元 へ行く。
【[[独眼竜の野望]]】
*&ruby(もうり ひでもと){毛利秀元}; [#r1642708]
**レベル:数 [#u27ddb21]
-69:4
**家紋 [#ha775e7b]
-西軍
**生息地域 [#rc00a1ba]
-[[関ヶ原の陣]]
**戦闘開始時セリフ [#jdb9d12f]
東軍を攻めるべきときに動け
ず、今は伊達軍を迎え撃つ羽
目に……なぜこんな……。
**構成 [#w5f46016]
|>|>|CENTER:|||c
|~名前|~職業|~レベル|~初期付与|~使用技|
|毛利秀元|槍侍|69|&color(red){▲};|[[一所懸命・極]]、[[八箇必勝]]、[[沈黙の霧・壱]]、反撃術|
|三輪元祐|棍棒侍|64|&color(red){▲};|[[八箇必勝]]、[[肋一寸]]、[[全体看破]]|
|天野元信|鉄砲鍛冶|64|&color(red){▲};|[[土竜攻め・改]]、[[鎧の極み・改]]、[[三>三段撃ち]]〜[[四段撃ち]]、[[刀の至り]]、[[千鳥落し]]、[[狙撃・改]]、[[零距離射撃]]、[[仕掛け鎧・参]]|
|中原善兵衛|鉄砲鍛冶|64|&color(red){▲};|~|
**特徴 [#id5f4cf6]
**ドロップアイテム [#b3dc40f0]
**列伝 [#k85642bc]
:毛利秀元(もうり ひでもと)|1579-1650 穂井田元清の長男。毛利元就の孫。[[毛利輝元]]の従兄弟にあたる。正室は[[豊臣秀長>木下秀長]]の娘、継室は[[徳川家康]]の養女。~
毛利輝元の養子となり継嗣となっていたが、1595年、輝元に実子・秀就が生まれると、別家を創設した。~
関ヶ原の戦い際は、西軍の総大将として大坂城に入っていた輝元に代わり、[[吉川広家]]とともに関ヶ原へ赴く。広家と毛利家家老の福原広俊は東軍と内通し、傍観を決め込んでおり、秀元自身には戦意があったものの、広家に押し留められたとされる。このため、[[安国寺恵瓊]]、[[長宗我部盛親]]、[[長束正家]]らも戦闘に参加できなかった。~
西軍の敗色が濃厚となると戦場を離脱し、大坂城で[[立花宗茂]]と共に徹底抗戦を呼びかけたが、輝元はこれに応じなかった。~
戦後、輝元より長門国内に6万石を与えられ、秀就の後見として藩政の中心を担った。晩年は江戸に住み、3代将軍徳川家光の御伽衆となった。
:三輪元祐|
:天野元信|
:中原善兵衛|
**コメント [#ne794d9b]
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