- 追加された行はこの色です。
- 削除された行はこの色です。
- 松本景繁 へ行く。
[[廃止NPC一覧]]
[[上杉家]]
*&ruby(マツモトカゲシゲ){松本景繁}; [#o2955a29]
**レベル [#kccdd0f9]
50:7体
**職業 [#a3bb26a8]
侍
**戦闘開始時セリフ [#j12024ae]
なし
**構成 [#h7bbc724]
|>|>|CENTER:|||c
|~名前|~種類|~レベル|~初期付与|~使用技|
|松本景繁|槍侍|50||n連撃・改,[[蘇生・壱]],[[一所懸命・改]],[[真剣勝負]]|
|担猿くノ一|忍者|45||[[蘇生・壱]]|
|越後僧兵|僧|45|||
|越後陰陽師|陰陽師|45||陰陽道壱各種術,真理各種屬性術,[[太極陣]]|
|北信濃巫女隊|懐剣巫女|45||[[詠唱の韻・極]]|
|力士衆見習い|刀鍛冶屋|45||n連撃・改,[[怒号]]|
|南越後薬師|薬師|45||[[蘇生・壱]]|
**ドロップアイテム [#y76562e9]
**特徴 [#k48595e8]
**列伝 [#r20497b1]
石見守。生年は不明。~
[[越後]]の国人であり[[上杉謙信]]の旗本でもあったほか、奉行人でもある。
第4次[[川中島]]合戦に参戦したという武将の一人でニ十八将の一人に数えられる。~
越後国三島郡小木城(小木ノ城、小萩とも)主であるがどういう経緯で城主となったかは不明。~
もともとこの城は小木氏の居城であり、松本が入ったのは謙信の代である。また、彼の後は雲上寺忠経という人物に城主は移行している。その後は松本忠範という人に城主が移っているが、この人物と松本景繁の関係はよくわからない。
1565年には[[上野]]沼田城に守将として入ったのがわかっているほか、1569年に締結された相越同盟では、その成立に活躍したとされる。どうやら[[北条>北条家]]側と[[上杉>上杉家]]側の仲介を行っていたようである。~
このとき北条家は[[北条氏照]]、[[北条氏邦]]の2人が別個に交渉していたが、彼は氏邦側の交渉を受け持ち、[[河田重親>河田長親]]、小中家成といったほかの沼田城将とともに行ったようである。~
1570年にあった[[上杉景虎]]の養子縁組のさいの交渉役も勤めたようである。~
没年は不明。
彼は名前からわかるとおり、景の字を得た上杉家家臣である。しかし、足跡ははっきりしているものの、いまひとつ実像ははっきりしない。~
二十八将によれば、彼は第4次川中島の武功により謙信より感状を送られているという。~
しかしその後の足跡は武官というよりは文官よりであるし、その後の武功は特に伝わらない。~
また、生没年、前半生など不明な点が多く、今後の資料探索が鍵を握っている。
**その他情報 [#y2f45171]
#comment