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[[鹿児島攻め (龍造寺家)]]
*&ruby(にいろただもと){新納忠元}; [#we59644e]
#ref(新納01.jpg)
**レベル:数 [#o41e9524]
60:7
**構成 [#q601152a]
|>|>|CENTER:|||c
|~名前|~職業|~レベル|~初期付与|~使用技|
|新納忠元|槍侍|60|&color(orange){▲};|[[薩摩鬼武蔵]]、[[四連撃・改]]、[[結界破り]]、[[大音声]]、[[活殺自在]]、[[全体看破・弐]]、[[蘇生・壱]]、守護術|
|新納忠尭|刀忍者|59|&color(green){▲};|[[五連撃]]、[[風遁の術・極]]、[[幻霧]]、[[朧の術]]|
|新納忠増|杖陰陽|59|&color(blue){▲};術結界|[[五雷法]]、[[太極陣]]、各種上位全体術、各種準備無し単体術、[[呪縛・参]]、[[結界・参]]|
|泉徳寺高僧|薙刀僧|58|&color(blue){▲};術結界|[[完全回復]]、[[全体完全回復]]、[[僧兵連撃]]、[[紅蓮・参]]、[[五大明王法]]、[[因果応報]]|
|加紫久利巫女|弓巫女|58|&color(blue){▲};反射結界|[[詠唱の韻・極]]、[[攻撃の韻・参]]、[[三貴神射儀]]、[[三連射]]、[[嵐撃・参]]、[[神の加護・参]]|
|泉徳寺門番|鉄砲鍛冶|58|&color(blue){▲};|[[怒号・改]]、[[零距離射撃]]、[[三>三段撃ち]]〜[[四段撃ち]]、[[仕掛け鎧・参]]、守護術|
|新納院草摘み|薬|58|&color(blue){▲};|[[蘇生・壱]]、[[攻撃呪霧・四]]、[[治療・四]]、[[救護・参]]|
**生息地域 [#icf9d298]
[[鹿児島攻め (龍造寺家)]]・参
**ドロップアイテム [#o44bd770]
-[[智勇の滴]]([[神秘石]])
-[[糖花]]
**備考 [#t9768de0]
:薩摩鬼武蔵|風槌付きの五連撃。妖術ダメージもたいしたことはなく盾が受ければ特に問題ない。
~
~
-新納の側でくずくずしていると橋の上からの狙撃により生命が減る(天命死もある)。回復する時は橋の真下が比較的安全。
**列伝 [#u9c51adb]
:新納忠元|
技名の通り「鬼武蔵」と名高い島津家の宿将。先代・島津貴久から[[義久>島津義久]]まで二代に仕えた。~
「武勇鬼神の如し」とも、武功を指で数える際に第一になりやすいことから「太指武蔵」とも評される。~
[[沖田畷の戦い>沖田畷の合戦 (島津家)]]、[[秀吉>羽柴秀吉]]の九州征伐、朝鮮出兵、[[関ヶ原の戦い>関ヶ原の陣]]・西軍と、島津家が参加した主な合戦には必ず名を連ねている。~
~
武勇のみならず風雅を知る武将とも遺されており、肥後水俣城での相良氏僧将犬童頼安との戦いでは、~
忠元が「秋風に 水俣落つる木ノ葉哉」という句を矢文にして射掛けると頼安は「寄せては沈む 月の浦波」と詠んで射返したという逸話が残っている。~
また、同じ風雅武将であった[[細川幽斎>細川藤孝]]と共に宴会に臨席した際にも、忠元の白髭を上げて盃を呑み干す様を、~
「鼻の下にて鈴虫ぞなく」と幽斎が詠めば「上髭を ちんちろりんとひねりあげ」と上の句を加えたという。~
:新納忠尭|
1554-1583~
島津家家臣。忠元の長男。父に従い各地を転戦する。天正10年(1582年)、肥後制圧のため忠元とともに肥後隈本に進出。翌年、肥前龍造寺氏との戦いにおいて深江城攻めに参加、戦死する。
:新納忠増|
島津家家臣。忠元の次男。兄忠堯が戦死すると、沖田畷の戦い、豊後侵攻、肥後内乱の平定に加わる。島津家が豊臣秀吉に降伏すると、人質として上洛した。朝鮮出兵、[[関ヶ原の戦い>関ヶ原の陣]]で活躍し、後に大隅山田の地頭に任命される
**その他情報 [#ub640417]
- 別に弱体しません。いつも7体です -- &new{2009-02-27 (金) 12:25:48};
- 新納忠元を祖先にもつ男です。 -- [[新納悦朗]] &new{2009-11-04 (水) 02:30:08};
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