[[摂津和泉武将一覧]]
*小西行長 [#j6850555]

**レベル:数 [#kfa3b55a]
55:7

**職業 [#rbb9b186]
薬師

**配置 [#keccece8]
中備

**タイプ [#ma83f552]
官吏

**戦闘開始時セリフ [#icc6148c]

**構成 [#kec546fd]
|>|>|CENTER:|||c
|~名前|~職業|~レベル|~初期付与|~使用技|
|小西行長|薙刀薬師|55|&color(gray){▲};|[[小西の講和策]]、[[完全治療]]、[[救護・参]]、[[蘇生・壱]]|
|和泉鍛冶精鋭|刀鍛冶|50|||
|見性寺僧兵|懐剣僧|50||[[完全回復]]、[[後光]]、[[霧散]]|
|三好上級陰陽|懐剣陰陽|50||[[鎌風]]|
|三好弓功者|弓神主|50||[[詠唱の韻・極]]、[[攻撃の韻・参]]、[[死の唄・参]]|
|三好党猛者|打棒侍|50||[[五連撃]]、守護術|
|奪口くノ一|刀忍者|50||[[水遁の術・極]]|

**部隊アイテム [#td1e10dc]
-[[丸一つ旗印]]

**ドロップアイテム [#udd09887]
-[[丸一つ本旗印]]

**特徴 [#yf5b209e]
-争覇の章より登場。

**大決戦伝令 [#x7961499]
#ref(小西行長_大決戦_01.jpg)

**列伝 [#mfcb3d15]
:小西行長(こにし ゆきなが)|1555-1600~
[[堺]]の商家の生まれ。父の影響で早くから切支丹となる。はじめ宇喜多直家に仕え、直家死後は[[豊臣秀吉]]に仕えた。~
豊臣政権内では舟奉行に任命され、紀州征伐や[[九州>九州三国志]]征伐で功をあげ、肥後20万石を与えられる。~
文禄の役では先鋒として次々と朝鮮軍を破り、[[石田三成]]と共に明との講和交渉にも携わった。
その結果、明の使者が来日する事になったが、冊封すなわち明の臣下になることを提示されたため、秀吉は激怒し、講和は破綻する。~
1597年からの慶長の役でも再び出兵。その後、秀吉が死去すると、明軍と交渉して円滑な撤退に尽力した。~
[[関ヶ原の戦い>関ヶ原の陣]]では西軍に与し、東軍の[[田中吉政]]、筒井定次らと交戦する。しかし[[小早川秀秋]]らの裏切りで[[大谷吉継]]隊が壊滅すると、小西隊も壊滅した。戦後、六条河原において[[石田三成]]・[[安国寺恵瓊]]と共に斬首された。

**その他情報 [#p8e55b51]
- 小西の講和策・・・こんな技能あっていいのか・・・数名脱兎 --  &new{2008-12-04 (木) 15:55:17};

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