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【[[尾張武将一覧]]】
*&ruby(サッサ ナリマサ){佐々成政}; [#j9c4adbc]
**レベル:数 [#z5ce8534]
55:7
**合戦配置陣 [#i6c437d0]
中陣武将
**タイプ [#n9dc73ff]
猛将
**戦闘開始時セリフ [#y103d5fa]
#ref(佐々成政_01.jpg)
織田家黒母衣衆参上!
この佐々成政の銃撃に
耐えることができるか?
はっはっは!
織田家鉄砲衆の力を
思い知るがよい!
はっはっは! 誰かと思えば
わしの銃に射抜かれた
○○○○ではないか!
待て!○○○○!
今日こそは我が鉄砲の
餌食にしてくれるわ!
**構成 [#n712d546]
|>|>|CENTER:|||c
|~名前|~職業|~レベル|~初期状態|~使用技能|
|佐々成政|鉄砲侍|55||''[[佐々流狙撃術]]''、[[一所懸命・極]]、守護術|
|饗談中忍|懐剣二刀忍者|50|||
|正徳寺僧兵|薙刀僧|50||[[完全回復]]|
|尾張陰陽師|懐剣陰陽|50|||
|国府宮神官|懐剣神主|50||[[詠唱の韻・極]]|
|織田工兵|刀鍛冶|50||守護術|
|尾張薬種商|槍薬師|50||[[完全治療]]、[[蘇生・壱]]|
**特徴 [#xc84f06d]
//-開幕1への[[逆転の秘策]]が有効。
**部隊アイテム [#a6e1cf29]
-[[陣立四目結旗印]]
**ドロップアイテム [#e2516bdd]
-[[陣立四目結本旗印]]
-[[佐々黒母衣衆兜]]
**大決戦伝令 [#r04d50b8]
**列伝 [#p091f9be]
内蔵助、陸奥守、侍従。佐々成宗(盛政とも伝わる)の第5子とされる。1539年生。~
~
佐々氏は佐々木氏の末流が上総国佐々庄に移り住み、佐々と名乗ったとされている。佐々木氏の源流は宇多源氏とされている。菅原氏の出で[[近江]]国余呉庄から出でたとする説もあるが、こちらはあまり有力ではない。成政の代には[[尾張]]国春日井郡比良村の在地領主となっていたが、いつごろ移ってきたのかは不明である。~
~
兄である佐々政次が[[桶狭間]]で戦死すると、その後をついで馬廻衆、[[黒母衣衆]]に列せられ、その後各地を転戦することとなる。~
1567年、黒母衣衆筆頭となる。その後も各地を転戦し、まさに東奔西走する。[[長篠]]の戦では鉄砲隊を率いて[[武田>武田家]]勢を壊滅に追い込む。~
1575年、[[柴田勝家]]与力として[[前田利家>前田犬千代]]、[[不破彦三>不破光治]]とともに10万石を賜る。その後も各地を転戦するが、1579年ごろからは主に[[上杉>上杉家]]勢との戦に従事する。1581年には[[越中]]1国を与えられて[[富山城>富山]]に寄る。~
~
1583年、[[信長>織田信長]]が本能寺で死亡すると、与力であったことなどから柴田勝家に味方する。しかし[[賤ヶ岳]]合戦には上杉勢を抑えるために動けず、[[秀吉>羽柴秀吉]]が勝家を滅ぼした後も徹底抗戦の構えを見せるも越中1国を条件に降伏する。~
しかし1584年の[[小牧長久手>小牧山]]戦では[[織田信雄>前田玄以(小田原)]]を支持する[[徳川家康]]につき、前田利家と戦端を開くも、上杉との2方面戦を強いられ苦戦する。このころ家康と秀吉の戦いは、小牧長久手本戦では家康が大勝するものの、多数の反秀吉派が日和見を決めたこともあり膠着、家康は単独講和を行う構えを見せる。~
徹底抗戦を訴える成政は家康への直談判を行うことを決意する。しかし彼の居する[[越前]]は東を上杉、西を前田、そして南の[[信濃]]は秀吉の勢力圏であり、[[遠江]]の家康へ出会うことは不可能に近かった。~
成政は厳冬期の立山連峰を超えるという壮挙を行う。後に言う「さらさら越え」である。これを成し遂げ家康と会談する。~
しかし結局家康は講和、成政は富山にむなしく帰還することとなる。翌年秀吉は自ら10万の大軍を率い富山城を包囲、織田信雄の仲介により降伏、かろうじて越中新川郡の一郡を残されるものの、自身は家族とともに[[大坂]]に居住させられ、御伽衆として秀吉に仕えることになる。~
~
後九州征伐で功を上げ肥後1国を任されるが、検地を早急に行おうとするなど、国人の不満をため1588年に国人一揆をおこしてしまう。この責を問われて切腹させられる。~
~
後世では秀吉嫌いとされ、猪武者という具合に描かれる場合が多いが、実際には政務もそつなくこなす人物であり、領地であった越中には彼の行った治水の後が今でも残っている。~
しかし、さらさら越えなどの無茶、国人一揆の勃発など、性急すぎる一面が目立つほか、秀吉にくらべるとどうしても見劣りする。生まれてより[[織田家]]一筋でいたこともあったのであろうか、世渡り下手と頑ななまでの織田家への忠誠と生来の性急さが、彼の失敗の原因だったのかもしれない。
**その他情報 [#l56768e3]
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