佐賀攻め (島津家)

赤星統家(あかほし むねいえ)

レベル:数

62:5体

構成

名前職業レベル初期付与使用技
赤星統家懐剣忍者62悲嘆の刃、奪命n連、瞬殺閃風遁の術・極看破霧散小細工無用蘇生・壱、闘魂術、反撃術
菊池流上忍懐剣忍者60瞬殺閃暗殺乱舞神力両断・改結界破り・改、各種遁術・極、全体看破霧散
菊池流くノ一懐剣忍者60暗殺乱舞四連撃結界破り・改痺れ斬り、各種遁術・極、朧の術沈黙の霧・壱朧の術
合志親為刀鍛冶61迅速破砕撃三連撃・改仕掛け鎧・参怒号・改、守護術
隈部踊り女槍傾奇60絢爛三連、〜衝斬・弐、全体看破凶変の謡

生息地域

ドロップアイテム

特徴

悲嘆の刃
単体近接攻撃+呪い

列伝

赤星太兵衛統家(あかほし たへえ むねいえ、天文20年(西暦1551年)生〜慶長19年(西暦1614年)11月23日没)

菊池武時の八男で、菊池武重の八弟で、
菊池武敏や菊池武光や菊池武士の八兄で、
赤星氏の当主に成った菊池武豊(赤星武生)の子孫。
赤星道半親隆(享禄3年(西暦1530年)生〜元和5年(西暦1619年)没)の嫡男。

天正9年(西暦1581年)4月13日に、
隈部氏の援軍として、佐賀の龍造寺隆信が、肥後国菊池郡隈府城に侵軍して来たので、
天正9年(西暦1581年)4月21日に、
二人の子を人質に出してから、隈部氏へ肥後国菊池郡隈府城を明け渡して、佐賀の龍造寺氏に臣従している。
しかし、龍造寺氏に付いては、
赤星氏とは敵対関係にある隈部親永*1を支援している事に由り、人質に成っていた子供の二人は殺されて仕舞う。
其の後に付いては、島津氏に従属して、沖田畷の戦いに、軍勢50を率いて参加している。
豊臣秀吉の九州攻めの後で、加藤清正の家臣に成っている。
加藤清正の家臣名簿では、赤星太兵衛として記載されている。
慶長16年(西暦1611年)に、
加藤清正が死去すると、加藤の重臣達から棄教を迫られたが、赤星は棄教を拒否して、加藤氏から去った。
其の後は、キリシタンに寛容だった佐賀国松浦郡唐津城の城主の寺澤廣高に仕えたが、
慶長19年(西暦1614年)1月に、
江戸幕府が『伴天連追放之文』を正式に公布すると、寺澤からキリシタン信仰に付いて、棄教する事を勧められた。
しかし、赤星は、棄教を断り、禄を捨てて、肥前国長崎郡に居住した。
慶長19年(西暦1614年)11月22日に、
島原郡口之津大殉教で、多くのキリシタンが殉教した事を耳にした赤星は、肥前国島原郡口之津郷へ向かった。
慶長19年(西暦1614年)11月23日に、
肥前国島原郡口之津郷で、山口直友に棄教を勧められたが、
赤星が棄教を拒否した事に由り、
山口直友の側近に斬首されて、64年の生涯を閉じた。
合志伊勢守親為(こうし いせのかみ ちかため、生年不詳〜天正13年(西暦1585年)10月没)

肥後国合志郡竹迫城の城主で、合志氏の当主。
赤星太兵衛統家に付いては、甥の嫡男に当たる。

その他情報


*1 本家・信長の野望シリーズでは、二階堂盛義と共に、在る意味で有名な人。検索して見ましょう。

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