宇都宮国綱
の履歴(No.1)
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宇都宮国綱
へ行く。
1 (2026-04-01 (水) 06:23:03)
【
独眼竜の野望
】
宇都宮国綱
(
うつのみや くにつな
)
†
↑
レベル:数
†
:5
↑
家紋
†
豊臣
↑
生息地域
†
小田原の陣
↑
戦闘開始セリフ
†
ええい、北条なんぞに 合力しおって!
↑
構成
†
名前
職業
レベル
初期付与
使用技
宇都宮国綱
刀忍者
▲
▲
奪命五連
、
嵐遁の術
、
沈黙の霧・壱
結城朝勝
二刀侍
▲
▲
一所懸命・極
、
八箇必勝
芳賀高武
刀忍者
▲
五連撃
、
無影一閃
、
結界破り
、
全体看破
今泉高光
棍棒薬師
蘇生・壱
、
完全治療
、
全体完全治療
、
全体救護・弐
、
瞬雷
、
蛇紋孔・弐
芳賀高継
薙刀傾奇
▲
天衣無縫・改
、
〜龍閃
、各種槌舞、
意気衝天・四
、
全体看破
、反撃術
↑
ドロップアイテム
†
↑
列伝
†
宇都宮国綱(うつのみや くにつな)
1568-1608 下野の戦国大名。
1576年、父・広綱の死により家督を継ぐ。
国内の反対勢力や
後北条氏
の侵攻に対抗するために、
佐竹氏
、結城氏、
武田勝頼
、
豊臣秀吉
らと手を結んだ。
小田原の陣
直前には、周辺諸城が北条氏に寝返り窮地に陥る。1590年、秀吉の小田原征伐が始まると、
石田三成
の忍城攻め等に参加し、下野18万石の所領を安堵された。
しかし、1597年、秀吉の命により突如として改易され、娘婿の
宇喜多秀家
預かりとなった。これは
浅野長政
の三男長重を養子として迎えようとしたが、宇都宮家中の反対により実現せず、それを恨みに思った長政の讒言により改易されたとする説もある。
その後、宇都宮氏を再興すべく慶長の役に参陣し武功を立てたが、再興はかなわなかった。諸国を流浪し、1607年江戸で病死。享年40。
結城朝勝(ゆうき ともかつ)
1569-1628 宇都宮国綱の弟。
1577年、結城晴朝の養子となり、宇都宮氏と結城氏は同盟を結んで
北条氏政
に対抗した。 1578年、小川台合戦で北条軍と戦い初陣を果たす。
1590年、
結城秀康
が結城氏に入嗣すると、実家の兄・国綱のもとへ戻った。
宇都宮氏改易後は
佐竹義宣
のもとへ身を寄せ、
関ヶ原の戦い
の際には
上杉景勝
と義宣の間を取り持つ役目を果たした。佐竹氏が出羽に移封されるとそれに従い、宇都宮姓に復し、宇都宮恵斎宗安と名乗った。
芳賀高武(はが たかたけ)
1572-1612 宇都宮国綱の弟。
宇都宮家臣の芳賀高継の養子となり、1592年には養父・高継の死により家督を継いだ。
兄・国綱と協力し、家臣団統制をはかるなど右腕として活躍した。 今泉高光は国綱に後継ぎがいなかったため、
浅野長政
の子を迎えようとしたが、高武はこれに反対し、今泉高光殺害に至った。これが原因となり1597年に宇都宮氏は改易されたという。
その後はお家再興に尽力したが報われることは無かった。
今泉高光(いまいずみ たかみつ)
1548-1597年宇都宮氏の家臣。
宇都宮氏の庶流の一族。主君・宇都宮国綱に継嗣が無かったため、豊臣氏の五奉行であった
浅野長政
から養子をもらおうとしたが、これに不満を持った国綱の弟・芳賀高武に殺された。
芳賀高継
↑
コメント
†
忍者侍忍者薬師傾 -- 相模もん
2011-05-15 (日) 16:42:13
小田2の1体雑魚狩ってると沸きました。 --
2011-05-31 (火) 09:20:52
1が嵐遁の術 を使うのを確認 --
2011-07-30 (土) 17:31:16
多劫の功績を忘れては困る -- 多劫五郎
2014-03-16 (日) 08:17:41
エリア2で、5体もの狩ってたら沸いた --
2022-04-03 (日) 21:52:23