北条家

北条氏康(ホウジョウ ウジヤス)

レベル:数

90:7

職業

合戦陣配置

北条家・本陣総大将

戦闘開始時セリフ

#ref(): File not found: "氏康台詞.JPG" at page "北条氏康"

はっはっは!
わしが北条家当主の氏康!
お主の力見せてみよ!
○○○○と申すのか。
よい面構えじゃ!お主には
虎の一撃を進呈しよう!
○○○○よ、また来たか。
我が北条一門に刃向かった
愚かさにまだ気づかんか!

構成

名前職業レベル初期付与使用技
北条氏康槍侍75川越夜戦訓不撓不屈必討の太刀一所懸命・極、守護術
北条氏忠懐剣忍者70
狩野一庵薙刀僧70反射結界
太田氏房懐剣陰陽70結界
北条氏盛弓神主70
石工善左衛門鉄砲鍛冶70守護術
大藤政信錫杖薬師70再生

特徴

旧部隊アイテム

ドロップアイテム

列伝

北条氏康
後北条家の祖・北条早雲(伊勢新九郎宗瑞)の孫にあたり、後北条家の三代目当主。

上杉謙信武田信玄などと互角に渡り合った名将で、特に政治能力に優れていた。
祖父・早雲が築き、父・氏綱が地盤を整えた後北条家は三代目・氏康によって完成する。
検地、貨幣整備、伝馬制(公用で使う馬の調達制度)や水運の整備などを行う。

度重なる戦で攻められる事となった居城・小田原城を改修し、難攻不落の名城に築き上げた。
北条家は家訓に民をいたわる様にというような事があり、税金が安く四公六民(四割を国が、六割を民が)というものであった。
しかも米のまま納められるのではなく、農民達が納めた米が税金として届くときには貨幣となって届くシステムを成立させていた。

戦場にあっては「氏康の向疵(むこうきず)」と呼ばれ、生涯三十六回の合戦で一度も敵に背を向けず受けた傷は全て身体の前側、すなわち、「向疵」であったと言われている。
そして極めつけは、八万にも昇る軍勢で北条綱成の篭る川越城を包囲した山内上杉家連合の軍勢を、わずか十分の一の八千の軍勢で夜襲をかけ撃退するという離れ業。後に「川越夜戦」と呼ばれるこの合戦で氏康はその武名を世に知らしめることとなった。
また武辺だけではなく晩年の勝海舟の語録には、小田原では江戸時代を経た今でも未だに北条家の善政の威徳が語られ、敬われているという記録が残っているらしい。

北条氏忠(ほうじょううじただ)
生年不詳-1593 氏康の六男。正室は佐野宗綱の娘で、佐野氏を継いだ後は佐野氏忠と名乗った。
狩野一庵(かのういちあん)
生年不詳-1590 北条家臣。北条氏康の馬廻りや北条氏照の側近をつとめた。豊臣秀吉小田原の役で討死。
大田氏房
北条氏盛(ほうじょううじもり)
1577-1608 北条氏規の長男、北条氏直の養子。母は北条綱成の娘。河内狭山藩の初代藩主。
石工善左衛門
生没年不詳。石屋善左衛門。小田原城などの石垣を建設した板橋石工衆の棟梁。
大藤政信

その他情報


トップ   一覧 検索 最終更新   ヘルプ   最終更新のRSS